「雨」でデビューした三善英史さんを、最近テレビで見かけないと感じている方は多いのではないでしょうか。紅白に3年続けて出ていた歌手なのに、名前で検索しても出てくるのは昔の映像ばかりです。
実は三善英史さんは今も現役で、しかも年間を通してステージに立ち続けています。活動の場が地上波の歌番組ではなく、全国のホールとBS・通販番組に移っただけでした。
この記事では、三善英史さんの現在の活動場所と最新の曲、そして今の暮らしを支えている家族の話までを順に整理します。
この記事を読むとわかること
- 三善英史さんが現在どこで歌っているのか(2026年の出演スケジュール)
- 最新曲と、近年リリースされた配信アルバムの中身
- 1988年に結婚した妻との関係と、9年間続けた母の介護
三善英史の現在の活動|夢スター歌謡祭とBS番組で今も歌い続けている
「見かけない」と言われる歌手の多くは、引退したのではなく露出の場所が変わっただけです。三善英史さんもその一人で、活動量だけを見れば決して少なくありません。まずは今どこで歌っているのかを具体的に見ていきます。
三善英史の現在の主戦場は夢グループの「夢スター歌謡祭」
三善英史さんの現在の活動の中心は、夢グループが主催する全国巡回コンサート「夢スター歌謡祭」です。小林旭さんや橋幸夫さんといった大先輩と同じ舞台に立ち、全国のホールを回っています。
夢グループとの縁は古く、2006年ごろに石田重廣社長から声をかけられて当時の「有限会社あずさ2号」に参加したのが始まりでした。20年近く続いている関係です。
2026年8月から9月は東京・千葉・大分・宮崎・鹿児島で公演が組まれている
夢コンサートの公式サイトに掲載されている「夢スター『春・秋』」の日程では、2026年8月から9月にかけて東京・千葉・大分・宮崎・鹿児島の各会場での公演が予定されています。
関東から九州まで移動する行程で、これが毎年春と秋に組まれます。テレビに出ていないだけで、生の歌声を聴ける機会そのものは全国に用意されているということです。
2026年5月31日にラドンナ原宿で55周年記念ライブを開催した
公式サイトの告知によれば、2026年5月31日にラドンナ原宿で「三善英史 55周年記念LIVE」が行われました。大きなホールではなく、客席と距離の近いライブレストランでの公演です。
周年ライブを自分名義で打てるということは、集客できるファンが今も付いていることの裏返しでもあります。
2026年7月にBS日テレ『そのとき、歌は流れた』へ出演した
テレビ出演もゼロではありません。2026年7月9日にBS日テレの『そのとき、歌は流れた』(20時〜21時54分)に出演したことが、公式サイトで告知されています。
さらに8月15日には民団神奈川の創団80周年記念事業へゲスト出演することも発表されました。地上波のゴールデン帯から離れただけで、番組やイベントへの出演は続いています。
テレビショッピングでも顔を見る機会が増えている
夢グループは通販事業も手がけており、三善英史さんはコンサートと並行してテレビショッピングにも出演しています。歌手としての知名度をそのまま生かす形です。
「最近見ないと思っていたら通販で見た」という声が出るのはこのためで、視聴する時間帯とチャンネルが変わったことが「見かけない」という感覚を生んでいます。
最新曲は「渋谷通り雨」、2024年には配信アルバムが相次いでリリースされた
夢コンサートのプロフィール欄では、代表曲「雨」「円山・花街・母の街」と並んで、最新曲として「渋谷通り雨」が紹介されています。生まれ育った渋谷とデビュー曲の「雨」を重ねたタイトルです。
音源の面でも動きがあり、所属するビクターエンタテインメントからは2024年3月13日に「潮音〜宮城道雄歌曲集」など複数の配信限定作品が、同年11月13日には22曲入りの「ベスト・コレクション ’75 スペシャル」が配信されています。
三善英史の現在に至るまで|「雨」の大ヒットから母の介護、そして今
今の活動の形は、50年以上のキャリアの積み重ねの上にあります。デビュー時の熱狂から、歌の第一線を離れていた時期に何をしていたのかまで、経歴と私生活を追っていきます。
1972年のデビュー曲「雨」がいきなりの大ヒットになった
三善英史さんは1954年9月2日生まれ、東京都渋谷区の出身で、本名は田村照彦さんです。1972年5月25日にリリースしたデビュー曲「雨」がいきなりヒットし、オリコンチャートで2位を記録しました。
この年、第14回日本レコード大賞の新人賞、新宿音楽祭の銀賞、第3回日本歌謡大賞の放送音楽新人賞を立て続けに受賞しています。10代でのデビューでした。
1973年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場した
翌1973年には「円山・花町・母の町」でNHK紅白歌合戦に初出場し、1975年まで3年連続で出場しました。デビューから数年で紅白の常連になった形です。
この曲名にある「円山」は、三善英史さんが生まれ育った渋谷・円山町のことです。
円山町の芸者の子として生まれた生い立ちが歌にそのまま出ている
三善英史さんは渋谷・円山町の芸者だった母のもとに生まれました。「円山・花町・母の町」はその生い立ちを下敷きにした曲で、自分の出自を隠さずに歌にしています。
デビュー当時から母親との結びつきが強く語られてきた歌手で、後年の介護の話にもその関係がそのままつながっていきます。
9年間の在宅介護と著書『介護がこんなに楽しいなんて』
三善英史さんは母親を9年間にわたって在宅で介護しました。要介護5の段階では食事から身のまわりの世話まですべてを担い、それでも「母親を介護することができて幸せだった」と語っています。
この経験は読売新聞に連載されて話題となり、『介護がこんなに楽しいなんて〜お母さん、もっと生きてほしかった〜』として出版されました。歌番組で見かけなくなった時期に、この介護と両立させながら活動を続けていたことになります。
1988年に結婚した妻とは現在も夫婦二人で暮らしている
三善英史さんは1988年10月に結婚しています。相手は一般女性で、当時は会社員。姉が営む喫茶店でアルバイトをしていたときに出会い、母と姉の後押しもあって交際から結婚へ進みました。当時は本人が34歳、妻が33歳です。
子どもはおらず、現在は夫婦二人の時間を大切にした暮らしを送っていると伝えられています。
2007年のバイセクシャル公表で離婚の危機を迎えていた
夫婦の間には一度大きな危機がありました。2007年にテレビ番組で自身がバイセクシャルであることを公表したことがきっかけです。
妻が反発したのは公表した内容そのものではなく、プライベートを公の場で明かしたことだったとされています。三善英史さん自身が猛省し、夫婦でよく話し合った結果、離婚には至りませんでした。
2008年にはお笑いコンビ「みよしとみよし」でM-1に出場している
歌手以外の顔もあります。2008年には元ちゃらんぽらんの富好真さんとお笑いコンビ「みよしとみよし」を結成し、M-1グランプリにも出場しました(2回戦敗退)。
俳優やタレントとしての仕事もこなしており、歌一本に絞らずに活動の幅を広げてきたことが、現在まで舞台に立ち続けられている理由のひとつだと考えられます。
現在は71歳、趣味は映画鑑賞と車、特技は詩吟
1954年9月2日生まれなので、2026年8月時点で71歳です。血液型はB型、趣味は映画鑑賞と車、特技は詩吟と公表されています。
70代に入っても春秋の全国ツアーを回り、周年ライブを打ち、新録の配信作品を出す。「最近見ない」という印象とは裏腹に、現役の歌手としての活動は途切れていません。
まとめ|三善英史の現在はテレビの外で続いている
三善英史さんの現在は、夢グループの「夢スター歌謡祭」を軸に全国のホールを回る日々です。2026年5月にはラドンナ原宿で55周年記念ライブを開き、7月にはBS日テレの音楽番組に出演、8月以降も東京から九州までの公演が控えています。
最新曲は生まれ育った街を歌った「渋谷通り雨」。2024年には配信限定のアルバムも複数リリースされました。私生活では1988年に結婚した妻と二人暮らしで、9年間の母の介護を経て、今も歌の仕事を続けています。
見かけなくなったのは本人が退いたからではなく、歌謡曲の歌手が立つ場所そのものが地上波から移ったからでした。姿を確認したいのであれば、夢コンサートの公演日程と公式サイトの告知を見るのが確実です。


