中山律子の現在は83歳でボウリング協会の名誉会長!テレビから姿を消した理由

中山律子の現在は83歳でボウリング協会の名誉会長!テレビから姿を消した理由

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「律子さん、律子さん、さわやか律子さん」——このフレーズを口ずさめる方は少なくないはずです。

1970年代のボウリングブームを牽引した中山律子さん。テレビでパーフェクトを達成し、社会現象と呼べるほどの人気を集めました。

ところが、ある時期を境にテレビで見かけることがなくなります。中山律子さんの現在を調べてみると、実はボウリングの世界から一歩も離れていませんでした。ただし立っている場所が、レーンの上から業界を支える側へ移っていたのです。

この記事を読むとわかること
・中山律子さんの現在の肩書きと年齢
・テレビで見かけなくなった理由と、第一線を退いた時期
・夫や子供、プロゴルファーの弟といった家族のこと

中山律子の現在は日本プロボウリング協会の名誉会長|83歳のいま

まず結論からお伝えします。中山律子さんは現在、公益社団法人日本プロボウリング協会(JPBA)の名誉会長です。

選手としての活動は退いていますが、協会運営という形でボウリング界に関わり続けています。ここからは現在の肩書きと、そこに至るまでの道のりを見ていきます。

現在の肩書きはJPBA名誉会長

中山律子さんの現在の立場は、日本プロボウリング協会の名誉会長です。

名誉会長は日常の運営実務を担う役職ではありません。ただし、協会の顔として長年の功績を体現する立場であり、業界のイベントや式典に招かれる機会は残されています。

選手を引退した後もライセンスNo.2という番号とともに名前が語られ続けている点からも、中山律子さんがボウリング界にとって特別な存在であり続けていることが分かります。

ジャパンレディースボウリングクラブでも名誉会長を務める

中山律子さんが名誉会長を務めているのは、JPBAだけではありません。

ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)でも同じく名誉会長の肩書きを持っています。JLBCは女子プロボウラーの組織で、中山律子さんは1998年7月に会長へ就任しました。

その後2018年に、プロ1期生の同期である石井利枝さんへ会長職を譲り、名誉会長となっています。20年にわたって女子ボウリング界の代表を務めていたことになります。

2004年から4期8年、女性初のJPBA会長を務めた

中山律子さんの現在の名誉会長という肩書きは、実務の会長職を長く務めた実績の上にあります。

2004年4月、日本プロボウリング協会の会長に就任しました。女性としては初めての会長就任です。

任期は4期8年におよび、2012年3月まで続きました。選手としてブームを作った人物が、そのまま業界団体のトップとして運営に回るというケースはそう多くありません。

会長時代に「ボウリング革命P★League」を立ち上げた

会長時代の取り組みとして挙げられるのが、2006年に始まったテレビ番組『ボウリング革命P★League』です。

女子プロボウラーによるトーナメントを番組化したもので、長期にわたって放送が続いてきました。ボウリングを競技として見せる場を作り直した企画といえます。

自身がテレビ中継でパーフェクトを達成して人気に火がついた経験を持つだけに、テレビとボウリングの相性を誰よりも理解していた人選だったと考えられます。

現在の年齢は83歳(1942年10月12日生まれ)

中山律子さんは1942年(昭和17年)10月12日生まれで、現在の年齢は83歳です。

出身は群馬県吾妻郡草津町。1945年に父母の出身地である鹿児島へ移り、鹿児島市立女子高等学校を卒業しています。

ボウリングを始めたのは1965年、鹿児島市内でのことでした。20代前半で初めてボールを握り、そこから数年でプロ1期生になっているという速さも、この人の経歴の特異な点です。

講演活動で「さわやかボウリングのすすめ」を語ってきた

中山律子さんは講演の講師としても名前が挙がる存在です。

講演テーマとして紹介されているのは「さわやかボウリングのすすめ」「ボウリングを通して人とつながる、一緒に育つ」といったもの。競技の技術論ではなく、ボウリングを人との関わりの手段として語る内容です。

テレビの露出は減っていても、こうした場では現在も自身の言葉を届け続けてきました。

2017年にプロボウリング殿堂入りを果たしている

中山律子さんは2017年度、JPBAのプロボウリング殿堂に表彰されています。

殿堂入りは競技実績と業界への貢献の双方が評価されるもので、選手としての33勝と、会長として過ごした8年間の両方が対象になったといえるでしょう。

ほかにも2013年には、かつての勤務先である東京タワーの55周年エッセイコンテストで特別賞を受賞しています。上京して最初に入ったのが東京タワーボウリングセンターだったという縁です。

中山律子を最近見ないのはなぜ?第一線を退いた理由と家族のいま

現在の立場が分かったところで、次に気になるのが「なぜテレビで見かけなくなったのか」という点です。

引退の理由はスキャンダルでも人気の低下でもありません。体でした。ここからは第一線を退いた経緯と、現役時代の実績、そして家族について整理します。

1990年に肩と膝を痛めて戦線離脱したのが転機

中山律子さんが競技の第一線から退いたきっかけは、1990年に肩と膝を故障したことでした。

ボウリングは重いボールを繰り返し投げ続ける競技で、肩と膝はもっとも負担のかかる部位です。デビューから20年以上投げ続けた結果としての故障でした。

つまり「消えた」のではなく、体の限界で投げられなくなったというのが実態です。その後の1998年にJLBC会長、2004年にJPBA会長と続く流れを見れば、離脱後もボウリングから離れてはいないことが分かります。

通算33勝・公認パーフェクト2回という現役時代の実績

中山律子さんが第一線を退くまでに積み上げたタイトル数は33。1980年に通算33勝を達成しています。

公認パーフェクトは2回。300点満点というボウリングの最高到達点を、公式の場で二度出しているということです。

また1971年7月15日には、3ゲーム合計824点という女子ハイシリーズの世界最高記録を樹立しました。人気先行の選手ではなく、記録の面でも当時の頂点にいたことがはっきり分かる数字です。

1970年、テレビ収録中に女子プロ初のパーフェクトを達成

中山律子さんの名前を全国に広めたのが、1970年8月21日のパーフェクト達成でした。

NETのボウリング番組『レディス・チャレンジボウル』の収録中、月例競技会の優勝決定戦での出来事です。女子プロとして公認初のパーフェクトが、たまたまテレビカメラの前で生まれたことになります。

この快挙により日本プロスポーツ大賞・殊勲賞を受賞。ボウリング場に人が押し寄せる大ブームの引き金となり、「和製ジャンヌ・ダルク」とも呼ばれました。

「さわやか律子さん」のCMが流行語になった

もうひとつ、中山律子さんを国民的な存在にしたのがテレビCMです。

花王フェザーシャンプーのCMで流れた「律子さん、律子さん、さわやか律子さん」というフレーズが1971年に大反響を呼び、流行語となりました。

スポーツ選手がCMのフレーズごと記憶されるという現象は、当時としては極めて異例でした。中山律子さんを「見なくなった」と感じる方が多いのは、この時期の露出量が突出していた反動という面もあります。

プロ1期生・ライセンスNo.2としてのデビュー

中山律子さんがプロテストに合格したのは1969年6月、第1回の女子プロテストでした。ライセンスNo.2の女子プロ1期生です。

合格から3か月後の同年9月23日、女子プロ誕生記念大会でいきなり優勝。翌1970年3月21日から22日にかけて行われた第1回全日本プロボウリング選手権も制し、初代チャンピオンとなりました。

デビュー直後から勝ち続けていたという点が、その後のブームの土台になっています。

夫は1974年に結婚したレコード会社社員、1978年に出産

家族についても触れておきます。中山律子さんは1974年11月に結婚しました。お相手はレコード会社に勤める男性です。

芸能人との結婚ではないため、夫が表に出る機会はほとんどありませんでした。名前や顔を探しても情報が出てこないのはそのためです。

そして1978年には出産しています。人気絶頂期を過ぎた後も選手として投げ続けており、出産を経て競技を続けた点は、当時の女性アスリートとしては先駆的でした。

弟はプロゴルファーの中山徹

中山律子さんの弟は、プロゴルファーの中山徹さんです。

PGAシニアツアーで賞金王を経験しており、姉弟そろってプロスポーツの世界で結果を出しています。

ボウリングとゴルフという違いはあるものの、どちらも道具を使って精度を競う個人競技です。「中山律子 弟」という検索が多いのは、この意外な組み合わせが理由でしょう。

ライバル須田開代子との関係がブームを支えた

中山律子さんを語るうえで欠かせないのが、須田開代子さんの存在です。

同じく女子プロ1期生で、中山律子さんとは好敵手として並び称されました。二人の対決が女子ボウリング人気を押し上げた面は大きく、ブームは一人の力で作られたものではありません。

須田開代子さんは1995年に亡くなっています。ライバルを失った後も、中山律子さんが協会運営という形でボウリング界に残り続けたことには、この関係も無関係ではないはずです。

まとめ|中山律子の現在は名誉会長としてボウリング界に残っている

中山律子さんの現在について、確認できたことを整理します。

・現在は日本プロボウリング協会(JPBA)とジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)の名誉会長
・現在の年齢は83歳(1942年10月12日生まれ)
・2004年4月から4期8年、女性初のJPBA会長を務め、2012年3月に退任
・会長時代の2006年に『ボウリング革命P★League』を立ち上げた
・第一線を退いた理由は1990年の肩と膝の故障
・現役時代は通算33勝、公認パーフェクト2回、3ゲーム824点の世界最高記録
・1974年11月に結婚し、1978年に出産。弟はプロゴルファーの中山徹さん
・2017年度にプロボウリング殿堂入り

テレビで見かけなくなったのは、引退して表舞台から消えたからではありませんでした。投げる側から支える側へ回り、協会の運営という目立たない場所で20年近く働いていたというのが実態です。

「さわやか律子さん」としてお茶の間に届いた笑顔は、いまも名誉会長という肩書きとともにボウリング界に残っています。

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