「世界のオザワ」として知られる指揮者・小澤征爾さんですが、実は四人兄弟の三男だったことをご存知ですか?
長男は彫刻家、次男は昔話研究者(小沢健二さんの父親!)、四男は俳優・エッセイストと、兄弟全員が異なる文化・芸術の道に進んだまさに「華麗なる一族」です。
征爾さんが音楽への道を歩んだ背景には、ピアノを勧めてくれた長兄の存在や、「好きなことをやれ」と背中を押した父の言葉がありました。
・小澤征爾の兄弟は何人で、それぞれどんな職業に就いているか
・甥・小沢健二と一族の著名人との関係性
・父・小澤開作の「好きなことをやれ」という言葉が一族に与えた影響
小澤征爾の兄弟は何人?長男・次男・四男のプロフィール
小澤征爾さんの兄弟については、意外と知らない方も多いかもしれません。
四人兄弟で三男に生まれた小澤家の全体像
小澤征爾さんは、四人兄弟の三男として生まれました。
父は歯科医師の小澤開作さん、母はさくらさん。
一家は旧満州国(現在の中国東北部)で暮らしており、子供たちも現地で生まれています。
小澤家の兄弟構成を整理すると、次の通りです。
| 順番 | 名前 | 職業 |
|---|---|---|
| 長男 | 小澤克己(かつみ) | 彫刻家 |
| 次男 | 小澤俊夫(としお) | ドイツ文学者・昔話研究者 |
| 三男 | 小澤征爾(せいじ) | 指揮者(本人) |
| 四男 | 小澤幹雄(みきお) | 俳優・エッセイスト |
長男は彫刻、次男は文学、三男は音楽、四男は俳優と、全員が異なる文化・芸術の道に進んでいます。
しかも息子の代まで才能が受け継がれ、小沢健二さん(次男・俊夫さんの息子)もミュージシャンとして活躍しています。
こんなに多彩な兄弟が集まった一家は珍しいですよね。
「華麗なる一族」と呼ばれる所以が、ここにあります。
ちなみに、小澤開作さんが「征爾」と名付けた由来は有名な話で、関東軍と関わりのあった板垣征四郎の「征」と石原莞爾の「爾」を一字ずつ借りたものです。
父・開作さんは政治にも関わり、時代の荒波の中で生きた人物でした。
そんな父のもと、「好きなことをやれ」という教えを受けた4人の息子たちが、それぞれの道で大きな足跡を残すことになります。
長男・克己は征爾にピアノを勧めた彫刻家
長男の小澤克己(かつみ)さんは、彫刻家として活動しました。
東京藝術大学で彫刻を学んだのち、フランス・パリへ留学し、芸術への造詣をさらに深めます。
兄弟の中で注目すべきエピソードとして、克己さんが10歳だった弟の征爾さんにピアノ(アコーディオン)の手ほどきをしたという話があります。
この出会いが征爾さんの音楽人生の原点ともいえます。
世界的指揮者の誕生の陰に、長兄の存在があったというのは、なんとも感慨深いですよね。
才能に気づいた克己さんが家族に「征爾はピアノの才能がある」と伝え、それがきっかけで征爾さんは本格的に音楽の道に踏み出すことになりました。
ただ、征爾さんは中学でラグビーに熱中し、試合で右手人差し指を骨折してしまいます。
ピアニストの夢はそこで断念。
でも高校になって指揮に出会い、そこから「世界のオザワ」への道が始まるわけです。
嵐山レディースホテルを経営した一面も
克己さんには彫刻家という顔以外に、ホテル経営者としての一面もありました。
1974年に京都・嵐山に「嵐山レディースホテル」をオープン。
これは日本初のレディースホテルとして話題を呼びました。
このホテルは2002年まで経営が続けられましたが、現在は閉業しています。
芸術家でありながら、時代の先端を行くビジネスにも挑戦したところに、小澤家のチャレンジ精神が感じられます。
また、克己さんは他の3兄弟より先に亡くなっており、2017年以降に企画された兄弟の対話集「小澤征爾、兄弟と語る」では、残念ながら登場していません。
次男・俊夫はドイツ文学者で昔話研究者
次男の小澤俊夫(としお)さんは、1930年4月16日生まれ。
旧満州国の長春で誕生し、その後は北京で幼少期を過ごしました。
昭和16年(1941年)ごろに一家で日本に引き揚げてからは、東京での生活がはじまります。
俊夫さんは大学でドイツ文学を研究し、その過程でグリム童話に出会い、昔話の口承文芸研究という独自の道を切り開きます。
東北薬科大学講師・助教授、日本女子大学教授、ドイツ・マールブルク大学客員教授を経て、筑波大学副学長・名誉教授として長年教壇に立ちました。
2000年に大学を退職後は、昔話の普及・研究活動にさらに注力。
1992年に「昔ばなし大学(市民大学)」を開講し、全国各地を回りながら昔話の語り口の大切さを伝える活動を展開します。
1998年には川崎市の自宅に「小澤昔ばなし研究所」を設立し、現在も所長を務めています。
「大丈夫か?と思っていた生徒が、今では社会に出て立派にやっている。僕の言葉で言えば、コイツはどこかで起きたんだ」という言葉に、俊夫さんの人柄と情熱が滲みでていますよね。
昔話研究者としての俊夫さんの息子は、あの小沢健二さん。
「今夜はブギーバック」や「カローラIIに乗って」などの曲で知られる「渋谷系の王子様」が、昔話研究者の息子というギャップもまた興味深いです。
顔の傷の真相は幼少期の火傷
俊夫さんの顔には火傷の跡があります。
これを「病気では?」と思っていた人もいたようですが、真相は幼少期に旧満州で負った火傷です。
俊夫さんが1歳の頃、蚊帳に火が移り、燃えたカスが顔に落ちてしまったのだそうです。
当時、父・開作さんは軍の手伝いで多忙を極め、母親がひとりで子育てに追われていた時期でした。
母親はこの火傷のことを長年、深く悔やみ続けます。
俊夫さん自身も、母親が傷つくことを気遣い、何十年もの間、顔の傷の原因を直接聞こうとしませんでした。
そして母親が90歳になったとき、ようやく真相を話してくれたのだそうです。
またこの傷が原因で、子供の頃にいじめを受けた経験もあります。
詳細は多く語られていませんが、つらい日々があったことは想像に難くありません。
そんな経験を乗り越え、文学の世界へ、そして昔話の研究へと進んだ俊夫さんの人生には、静かな強さを感じます。
四男・幹雄は俳優でエッセイスト
四男の小澤幹雄(みきお)さんは、1937年10月24日生まれ。
関東州・大連に生まれ、その後一家とともに日本に引き揚げます。
成城学園中学校から東京都立戸山高等学校を経て、早稲田大学仏文科に入学しますが、中退して俳優の道へ進みます。
1959年に劇団東宝現代劇第二期生として東宝演劇部に入社し、約10年間にわたり舞台俳優として活躍。
「がめつい奴」「放浪記」「王様と私」などに出演し、舞台人としての技を磨きました。
1971年以降は独立し、NHK大河ドラマ「勝海舟」「風と雲と虹と」などにも出演しています。
テレビの世界では、テレビ朝日「やじうまワイド」の朝刊コーナーを担当したほか、FM東京の「小澤幹雄のやわらかクラシック」でDJを務め、その名の通り「やわらかい」語り口でクラシック音楽の面白さを広く伝えました。
ニッポン放送「小澤征爾の世界」の司会を担うなど、兄・征爾さんに関連した仕事も多く手掛けました。
エッセイストとしても精力的に活動し、1985年に「やわらかな兄 征爾」(現代芸術社)を出版。
これは兄・征爾さんの「やわらかな」素顔を描いたエッセイ集で、戦時下の思い出や子供時代のエピソードなど、家族だからこそ知る話が詰まった一冊です。
2019年には光文社文庫として復刊され、ロングセラーになっています。
著書には他にも「小澤幹雄のやわらかクラシック」(音楽の友社、1990年)、「小澤幹雄の続・やわらかクラシック」(音楽の友社、1995年)などがあります。
兄弟の中でもっとも陽気で語り口のやわらかい弟キャラ、というイメージがある幹雄さん。
2024年2月に兄・征爾さんが亡くなった際には、メディアから多くのコメントが求められたことでしょう。
幼少期から仲の良かった4人兄弟のエピソード
小澤家の4兄弟は、幼少期を旧満州・北京で過ごしています。
父・開作さんが政治団体の活動に関わっていたため、軍部から憲兵が毎日のように家を監視するという、緊張感のある環境での子供時代でした。
それでも父は「好きなことをやれ」という姿勢を子供たちに伝え続け、その言葉が4人それぞれの才能を伸ばす土壌になりました。
次男・俊夫さんがインタビューで語っているように、父は権威主義を嫌い、中国や満州の人々との共存を信じた人物でした。
「この戦争は負ける。民衆を敵に回して勝てるはずがない」とあけすけに主張し、雑誌を発禁処分にされても主張を曲げなかったその姿勢は、4人の息子たちに少なからず影響を与えているはずです。
4兄弟の仲については、2017年に俊夫さん・征爾さん・幹雄さんの3兄弟(長男・克己さんはすでに故人)が集まって対話の場を設けたことからも、その仲の良さが伝わってきます。
計9回にわたる語り合いは2022年に「小澤征爾、兄弟と語る」として岩波書店から出版されており、和やかな雰囲気の中での家族の会話が収録されています。
小澤征爾の兄弟を調べる人向けの関連情報
小澤征爾さんの兄弟について調べていると、家系図の壮大さや甥・小沢健二さんとの関係など、気になる話題がどんどん出てきますよね。
三兄弟が語り合った「兄弟と語る」の内容
2022年に岩波書店から出版された「小澤征爾、兄弟と語る 音楽、人間、ほんとうのこと」は、3兄弟(俊夫・征爾・幹雄)による対話集です。
もともとは、征爾さんを中心とした家族の記録として残したいという思いから、2017年に語り合いの機会を設けることになりました。
計9回にわたる対話が収録されており、音楽について、両親について、子供時代のこと、人生観など、幅広いテーマが取り上げられています。
「家族以外なかなか聞けない貴重な会話」と評されており、世界的指揮者・小澤征爾さんの素顔や、3兄弟それぞれの視点から語られる小澤家の歴史を知ることができる一冊です。
特に、亡き父・開作さんや母・さくらさんへの思い、満州・北京での子供時代の記憶は、歴史的にも貴重な証言といえます。
終始和やかな雰囲気で進む対話の中に、小澤家の絆と温かさを感じられる本として、多くの読者に親しまれています。
惜しくも2024年2月に征爾さんが亡くなっていますが、この本に刻まれた3兄弟の言葉は永遠に残り続けます。
甥にあたる小沢健二と一族の著名人たち
小澤征爾さんの甥にあたるのが、シンガーソングライターの小沢健二さんです。
小沢健二さんの父親は、次男の小澤俊夫さん。
つまり、小沢健二さんと小澤征爾さんは叔父・甥の関係になります。
| 人物 | 関係 |
|---|---|
| 小澤俊夫(次男) | 征爾の兄 |
| 小沢健二 | 俊夫の息子 → 征爾の甥 |
| 小澤征悦(征爾の息子) | 小沢健二のいとこ |
小沢健二さんは1968年生まれ。
神奈川県相模原市出身で、幼少期は父・俊夫さんの仕事の都合で2歳〜5歳までをドイツで過ごしました。
東京大学を卒業後、音楽の世界へ。
「今夜はブギーバック」や「カローラIIに乗って」「ある光」などのヒット曲で知られ、90年代の「渋谷系」を牽引した一人です。
一方、征爾さんの息子・小澤征悦さんは俳優として活躍中。
NHKアナウンサーの桑子真帆さんと2021年に結婚したことでも話題を集めました。
同世代の征悦さんと健二さんがいとこ同士というのも、なんとも興味深い話ですよね。
さらに征爾さんの娘・小澤征良さんはエッセイストとして活動しており、2002年のベストセラー「おわらない夏」で一躍有名になりました。
父親・開作の「好きなことをやれ」が生んだ才能
小澤征爾さんを含む4兄弟が、それぞれまったく異なる分野で才能を開花させた背景には、父・小澤開作さんの影響があります。
小澤開作さん(1898〜1970年)は、山梨県出身の歯科医師。
18歳で歯科医師の資格を取得し、ドイツへ渡ってドイツ語を習得した後、満洲へ渡って歯科病院を開業します。
その後、「満洲国協和会」の創立委員となり、石原莞爾・板垣征四郎と親交を深め、「五族協和」の理念のもとでアジアの共存を訴えました。
ただ、中国人を蔑視する風潮に激しく反対し、「この戦争は負ける」とあけすけに主張して軍部に目をつけられ、発行していた雑誌「華北評論」は何度も発禁処分になっています。
帰国後は軍需省顧問を務めながら秘密裏に対中和平工作を進めましたが、実を結ばないまま終戦を迎えました。
敗戦の日に開作さんが子供たちに伝えた言葉が印象的です。
「日本人は日清戦争以来、勝ってばかりで涙を知らない冷酷な国民になってしまった。だから今ここで負けて涙を知るのはいいことなのだ。これからは、お前たちは好きなことをやれ」
この「好きなことをやれ」という言葉が、彫刻・文学・音楽・演劇という4つの異なる道に進んだ兄弟たちへのエールであり、小澤家の精神的な柱になったのかもしれません。
自由を愛し、権威に屈しなかった父の生き方は、子供たちの人生観に深く刻まれているのでしょう。
家系図がすごいと話題の小澤一族
小澤征爾さんの家系図は「すごすぎる」と、たびたびSNSで話題になります。
近親縁者のほぼ全員が何らかの肩書を持っていることが、その理由です。
| 人物 | 関係 | 職業 |
|---|---|---|
| 小澤開作 | 父 | 歯科医師・政治活動家 |
| 小澤克己 | 長男(兄) | 彫刻家・ホテル経営者 |
| 小澤俊夫 | 次男(兄) | ドイツ文学者・昔話研究者 |
| 小沢健二 | 俊夫の息子(甥) | シンガーソングライター |
| 小澤征爾 | 三男(本人) | 世界的指揮者 |
| 入江美樹 | 妻 | 元モデル・ファッションデザイナー |
| 小澤征良 | 長女 | エッセイスト |
| 小澤征悦 | 長男 | 俳優 |
| 桑子真帆 | 征悦の妻 | NHKアナウンサー |
| 小澤幹雄 | 四男(弟) | 俳優・エッセイスト |
「ここまで偉い人だらけの家系だと……」と感嘆するコメントがSNSに溢れる一方、「自分と比べて落ち込む(笑)」という声も。
ただ、このような才能豊かな一族が生まれた背景には、父・開作さんの「好きなことをやれ」という自由な精神と、それを実践した4兄弟の努力があります。
才能は確かに受け継がれているかもしれませんが、それぞれが自分の道を真剣に歩んだ結果でもあるんですよね。
小澤征爾の兄弟まとめ
- 小澤征爾は四人兄弟の三男として旧満州国に生まれた
- 長男・小澤克己は彫刻家で、征爾にピアノを勧めた人物
- 長男・克己は日本初の「嵐山レディースホテル」を1974〜2002年に経営した
- 次男・小澤俊夫はドイツ文学者・昔話研究者で筑波大学名誉教授
- 次男・俊夫の息子が小沢健二で、征爾の甥にあたる
- 俊夫は1歳の時に旧満州で顔に大やけどを負った過去がある
- 母は90歳になって初めて俊夫に火傷の原因を告白した
- 四男・小澤幹雄は俳優・エッセイストで劇団東宝現代劇出身
- 幹雄の著書「やわらかな兄 征爾」は家族だから知る征爾の素顔を描いた名エッセイ
- 2017年に俊夫・征爾・幹雄の3兄弟が対話集「兄弟と語る」を企画
- 2022年に岩波書店から「小澤征爾、兄弟と語る」として出版された
- 4兄弟の父・小澤開作の「好きなことをやれ」という言葉が一族を支えた
- 征爾の名前の由来は板垣征四郎の「征」と石原莞爾の「爾」を取ったもの
- 小澤一族の家系図は近親縁者のほぼ全員が著名人という「華麗なる一族」
- 2024年2月6日、征爾さんは心不全のため88歳で逝去した


