広末涼子の母親はやばい?おかしいと言われる理由とファミリーヒストリーまとめ

広末涼子の母親はやばい?おかしいと言われる理由とファミリーヒストリーまとめ

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広末涼子さんの母親・廣末眞弓さんは、「チャンスを逃したらその程度」という言葉で娘を奮起させた、ちょっとクールでサバサバなお母さんです。

「やばい」「おかしい」とネットで話題になることもありますが、その真相はいったい何なのでしょうか。

プロフィールから話題のエピソード、NHKファミリーヒストリーで明らかになったルーツまで、詳しくまとめました。

この記事を読むとわかること
・広末涼子の母親・廣末眞弓のプロフィール(名前・年齢・出身・性格)
・やばい・おかしいと言われる本当の理由
・NHKファミリーヒストリーで判明した母方のルーツと家系図

広末涼子の母親・廣末眞弓のプロフィールと教育方針

広末涼子さんの母親・廣末眞弓さんは、娘の芸能活動を厳しく見守り続けてきた存在です。

「やばい」「おかしい」とネットで話題になることもありますが、その真相は?プロフィールから教育方針、話題のエピソードまでまとめて紹介します。

母親のプロフィールと性格

広末涼子さんのお母さんは、廣末眞弓(ひろすえまゆみ)さんといいます。

旧姓は安藤眞弓(あんどうまゆみ)で、1956年生まれ。2025年時点で68〜69歳になります。

項目内容
名前廣末眞弓(旧姓:安藤眞弓)
生年1956年
出身北海道旭川市生まれ、埼玉県・神奈川県育ち
性格サバサバ・ポジティブ・あっさり
現在高知市の雑貨店「AND COLOR」で働く

出身は北海道旭川市ですが、幼いころに父親の仕事の都合で埼玉県、さらに神奈川県へと移り住んでいます。

性格はサバサバとしていてポジティブ、あっさりとした勝ち気な一面もあると伝えられています。

現在は高知市の帯屋町商店街で、夫・廣末忠彦さんが経営する雑貨店「AND COLOR(アンドカラー)」で一緒に働いており、広末涼子さんの子育てサポートのために上京することもあるそうです。

広末涼子とそっくりな容姿が話題

眞弓さんは若い頃の写真が非常に美人で、広末涼子さん本人も「自分かと思った」と驚いたほどのそっくりぶりだといいます。

SNSやネット上でもその写真が話題になり、「若い頃の眞弓さんが涼子さんにそっくり」「お母さんも美人すぎる」と絶賛する声が多く見られます。

芸能界でも指折りの美貌を誇る広末涼子さんですが、そのルーツはお母さんにあるのかもしれませんね。

子育てで大切にした挨拶と笑顔の教育方針

廣末眞弓さんが子育てのなかで最もこだわったのが「挨拶」と「笑顔」です。

広末涼子さんが幼いころから、眞弓さんは口酸っぱく以下のことを教え込んできたといいます。

  • 相手の目をしっかり見て挨拶をすること
  • どんな時も笑顔でいること
  • ありがとう・ごめんなさいを必ず言葉にすること

広末涼子さんは芸能界に入ってから、共演者やスタッフなどから「しっかりご挨拶ができますね」「いい家庭で育ったんだね」とよく言われたそうです。

本人は「当たり前のことだと思っていたんですが、周りから言われて親への感謝の気持ちが強くなりました」と語っています。

お母さんの眞弓さんからは「口角を上げて笑うと可愛いよ」というアドバイスも受けており、広末涼子さんの代名詞ともいえる自然な笑顔も、お母さんの教えが根底にあるといえそうです。

現在の広末涼子さん自身も、ご自身の家庭の中で「挨拶」をとても大切にしているとインタビューで語っており、眞弓さんの教えが世代を超えて受け継がれているのがわかります。

芸能活動は高校合格後から、という厳しい条件

広末涼子さんが芸能界に入ったのは、中学生のころに書店でオーディション雑誌を見つけ、ノリで応募したことがきっかけでした。

「クレアラシル・ぴかぴかフェイスコンテスト」というニキビ薬のイメージガールを決めるオーディションに応募したところ、まさかのグランプリ受賞。

その後、複数の芸能事務所から声がかかるようになりますが、ここでお母さんの眞弓さんが一言。

「芸能人が通う学校ではなく、普通の高校に合格してからね」

まだ中学生だった広末涼子さんに対して、芸能活動は高校合格を条件に認める、という厳しい姿勢を崩しませんでした。

今の芸能界では、中学生や小学生のうちから活動を開始するアイドルも珍しくはありません。

せっかくのチャンスをなぜすぐにつかませてくれないのか、と思いたくなるところですが、眞弓さんの判断は一般社会での生活基盤をきちんと持ったうえで芸能活動に臨みなさい、というものだったのでしょう。

「その程度」と言い切ったクールな名言

「高校に合格してからじゃないとダメ」という条件に、広末涼子さんは「チャンスを逃しちゃったらどうするの」と反論しました。

そこで眞弓さんが返したひと言が、あまりにも有名です。

「それでチャンスを逃したら、あなたはその程度。」

ばっさりと言い切るあたり、さすが”勝気なサバサバ性格”のお母さんです。

ただ、この言葉は単なる突き放しではなく、「本物のチャンスは逃げないし、あなたの実力があればまたやってくる」という強烈なエールだったともとれます。

実際、広末涼子さんはこの言葉を受けて猛勉強し、品川女子学院への合格を果たします。

その後は芸能活動と学業を両立させ、やがて「MajiでKoiする5秒前」で社会現象を起こすほどの大ブレイクを遂げました。

お母さんの”その程度”という言葉が、かえって広末涼子さんに火をつけたのかもしれません。

大学退学に「私の人生には関係ない」と自立を促す

広末涼子さんは大ブレイク後に早稲田大学に進学しますが、その後退学するかどうかで悩む時期がありました。

このとき、眞弓さんが言った言葉が話題になっています。

「アンタが大学やめようが、私の人生には関係ない」

一見すると、冷たく突き放しているように聞こえますよね。

しかし広末涼子さんは「自分の人生は自分で決めなさいというメッセージとして受け取った」と振り返っています。

親が先回りして答えを出すのではなく、あくまで本人が自分の意志で判断できるよう余白を与える、という一貫した教育方針のあらわれだったといえます。

小学6年生のときのエピソードも印象的です。

受験勉強真っ只中で毎日塾に通っていた広末涼子さんが、塾から笑顔で母親に駆け寄ると、眞弓さんが突然涙を流したといいます。

「ママが魔法使いだったらよかったのにね」という言葉を残して泣いた眞弓さん。

志望校の判定が芳しくないなか、一生懸命頑張る娘の姿を毎日見ていた眞弓さんが、思わず感情があふれてしまったのでしょう。

広末涼子さんは「魔法使いって…ママの発想、おもしろっ!」と思いながらも、「泣かせてしまって申し訳ない」という気持ちが芽生えたと語っています。

干渉しないようでいて、陰でしっかりと娘の頑張りを見守り続けていた——そんなお母さんの姿が伝わってくるエピソードです。

おかしい・やばいと言われる本当の理由

ネット上では「広末涼子の母親はおかしい」「やばい」という声が出ることがあります。

その主な理由は、2023年に報じられた広末涼子さんとミシュランシェフ・鳥羽周作さんとのW不倫騒動です。

騒動が大きくなるなか、眞弓さんが公の場で発言せず沈黙を続けたことで、「母親が娘の不倫を擁護しているのでは」「何も言わないのはおかしい」という声がSNSやネット掲示板で広がりました。

しかし実際には、眞弓さんが不倫を擁護するような発言をしたという記録は存在しません。

「沈黙=擁護」という見立てが一人歩きしてしまったのが実態のようです。

眞弓さんはもともと、娘の人生や決断に口を出さない「干渉しない」スタンスを貫いてきた人です。

大学退学のときも「私の人生には関係ない」と言ったように、娘の選択に対してあえてコメントしない、という姿勢は一貫しています。

ただ、今の時代のSNSの価値観では「何も言わない=冷たい・非常識」と映りやすく、「おかしい」「やばい」という印象につながってしまったのかもしれません。

実像はむしろ、娘の自立を尊重しながらも陰でしっかりサポートしてきた、芯の強いお母さんといえそうです。

ファミリーヒストリーで判明した母方のルーツ

2021年2月、NHKの人気番組「ファミリーヒストリー」で広末涼子さんの家族のルーツが紹介されました。

眞弓さんの出身は北海道旭川市ですが、その両親(広末涼子さんの祖父母)のルーツはまったく別の場所にありました。

祖父・安藤正順の軌跡

母方の祖父にあたる安藤正順(あんどうまさのり)さんは、1920年ごろに長野県塩尻市で生まれました。

ところが8歳のとき、父親が突然失踪。

身寄りを失った正順さんは、長野県塩尻市にある曹洞宗の寺「興龍寺」に預けられ、そこで育ちます。

18歳になると自ら志願して陸軍に入隊し、中国大陸各地を転戦。

1943年(23歳)に胸膜炎を患い帰国、大阪の傷痍軍人職業補導所で化学分析の技術を習得しました。

終戦後は故郷の長野に戻り仕事を探し、昭和電工の塩尻工場に採用されます。

しかしその後まもなく、北海道の旭川工場に転勤となりました。

祖母・智枝子の香川から北海道への移住

母方の祖母にあたる安藤智枝子(あんどうちえこ)さんは、1926年に香川県三豊市下高瀬地区で生まれました。

一家は農家で小作人を雇うほどの規模でしたが、近隣を流れる高瀬川の氾濫により耕作地を失い、北海道旭川市へと移住することになります。

旭川で育った智枝子さんは20歳のとき、昭和電工旭川工場にタイピストとして入社。

そこで6歳年上の安藤正順さんと出会い、2年後に結婚しました。

二人の間に生まれたのが、広末涼子さんのお母さん・眞弓さんです。

こうして振り返ると、長野・香川・北海道という複数の場所のルーツが重なって眞弓さんが生まれ、さらに高知の廣末家と結びついて広末涼子さんが誕生したということがわかります。

クォーター(四分の一外国人)の噂が一部で流れていますが、NHKのファミリーヒストリーで判明したルーツはすべて日本国内のもの。外国人の血は入っていないということが明確になっています。

母親への世間の声と評価

眞弓さんへの世間の反応は、大きく2つに分かれます。

不倫騒動時の沈黙をきっかけに「おかしい」「擁護している」という批判的な声がある一方で、眞弓さんの教育方針やエピソードを知った人たちからは共感と賞賛の声も多く寄せられています。

「挨拶と笑顔を徹底的に教えたお母さんの影響が、あの広末涼子さんの礼儀正しさにつながっているんだとわかって納得した」

「チャンスを逃したらその程度って言い切れる強さ、むしろ尊敬する」

「干渉しない教育方針って今の時代では難しいけど、それが広末涼子さんの自立心につながっているんだと思う」

といった声がSNSや芸能系サイトのコメント欄に見られます。

不倫騒動や逮捕報道など波乱のある近年の出来事を受けて複雑な評価もありますが、眞弓さんが広末涼子さんの芸能人生を陰ながら支えてきた存在であることは間違いなさそうです。

広末涼子の母親を調べる人向けの関連情報

広末涼子さんの母親だけでなく、実家や父親、妹、そして子供についても気になっている方は多いようです。

ここでは関連情報をまとめてお届けします。

父親・廣末忠彦のプロフィールと職業

広末涼子さんのお父さんは廣末忠彦(ひろすえただひこ)さん、1955年生まれで高知県高知市出身です。

横浜にある大学を卒業後、地元・高知に戻り家業を引き継ぐ形で商業ビルのオーナーとなりました。

項目内容
名前廣末忠彦
生年1955年
出身高知県高知市
職業商業ビル「アベニューⅡ」オーナー・雑貨店経営

高知市帯屋町に商業ビル「アベニューⅡ」を所有しており、そのビルに入っていた雑貨店「mamaikuko(ママイクコ)」を経営。2024年4月に移転・リニューアルし、現在は「AND COLOR(アンドカラー)」として営業しています。

親子仲は非常に良好で、広末涼子さんが高知に帰省すると二人でよく飲みに行く仲なのだとか。

東京に来た際にPARCOで広末涼子さんの大きな写真を見て、自分の娘の人気ぶりを初めてリアルに実感したというエピソードも有名です。

お父さんとお母さんの出会いのきっかけは、忠彦さんが横浜駅前で眞弓さんにナンパしたこと。

大学卒業を機に高知に戻ることになった忠彦さんを察知した眞弓さんが「帰るのなら、結婚はできないわね」とひと言。

それに焦った忠彦さんは、眞弓さんへのプロポーズより先に安藤家(眞弓さんの実家)へ結婚の許可を取りに行き、1979年に2人は正式に結婚しました。

実家は高知市帯屋町の商業ビルオーナー一族

広末涼子さんの実家は高知県高知市の帯屋町にあります。

実は廣末家は地元高知では代々続く経営者一族で、その歴史は曽祖父の時代にまでさかのぼります。

曽祖父・廣末静一(ひろすえせいいち)さんが帯屋町で「広末金物店」を開業したのが始まりですが、1945年の高知大空襲で店を焼失。

焼け跡から鍋や釜を掘り起こして地べたで商売を再開するという、逞しいエピソードが語り継がれています。

その後、祖父・廣末隆久さんが家業を継ぎましたが、1983年に隣接する飲食店の火災によって再び店舗を失ってしまいます。

この危機を機に、広末涼子さんの伯父・廣末幸彦(ひろすえゆきひこ)さんが金物店の跡地に商業ビル「アベニュー」を建設。

このビルには高知県第一号店となるマクドナルドも入居し、地域の顔となる存在になりました。

広末涼子さん自身も「帯屋町のマクドナルドは私の第二の実家!と言っても過言ではないほど通ったお店」と語っており、幼少期の思い出の場所です。

お父さんはそのすぐそばに「アベニューⅡ」を建設してオーナーに。不動産収入と雑貨店事業を両立するかたちで、地元高知でも名士として知られる存在になっています。

クォーターの噂は本当か

広末涼子さんのことをよく知らない方のなかには、「ハーフやクォーターじゃないの?」と感じる方も少なくないようです。

茶色がかった瞳、整った鼻筋、透明感のある白い肌など、日本人離れした美貌がその印象を生み出しているのでしょう。

さらに、母方のルーツが北海道旭川市というのも、「ロシア系の血が入っているのでは」という連想につながりやすいようです。

ただ、NHK「ファミリーヒストリー」で明らかにされた家系図を見る限り、母方の祖父は長野県塩尻市出身、祖母は香川県三豊市出身と、どちらも純粋な日本人です。

父方の廣末家も、代々高知市で商売を営んできた高知県民。

外国人の血が混ざっているという証拠は一切なく、ハーフでもクォーターでもないといえます。

広末涼子さんの美貌はあくまで日本人の遺伝子から生まれたもの。むしろそのことが「日本人にもこんなに美しい人がいるんだ」という驚きにつながっているのかもしれませんね。

妹は保育士として活躍中

広末涼子さんには妹が1人います。

名前は廣末衣美(ひろすええみ)さんで、広末涼子さんの3歳年下です。

高知県内の高校を卒業後、東京の大学に進学。その後、東京の保育園で保育士として働いていた時期には、広末涼子さんと一緒に暮らしていたこともあったといいます。

その後、帰省中の高知で出会った男性と3年間の遠距離恋愛を経て結婚し、現在は高知市に移り住んでいます。

広末涼子さんと衣美さんの姉妹仲はとても良好で、離れていても長電話で子育てのこと・夫婦のこと・親のことなど何でも話せる関係なのだそう。

広末涼子さんは「一番信頼できて、一番近くに感じる存在」と語っており、姉妹の絆の深さが伝わってきます。

出産した際に広末涼子さんが感動で涙が出そうになったものの「ここで泣いたらドラマみたい」と思って我慢した、というエピソードを妹に話したところ、「お姉ちゃん、そこは泣いて良いところだから」とツッコまれたというエピソードはなんとも微笑ましいですよね。

3人の子供と現在の育児

広末涼子さんには現在、3人の子供がいます。

最初の夫・岡沢高宏さんとの間に長男(2003年生まれ)、後にキャンドル・ジュンさんとの間に次男と長女をもうけています。

現在は3児の母として、東京を拠点に仕事と育児を両立しています。

長男が思春期・反抗期を迎えたときには、お母さんの眞弓さんに悩みを打ち明けたことがあったといいます。

そのとき眞弓さんが言ったのは、「反抗されているということは、ちゃんと向き合えている証拠よ」という言葉。

この言葉が広末涼子さんの大きな救いになったと語られており、子育て中のお母さんとして成長していく姿を、眞弓さんがしっかりと支えていることが伝わってきます。

眞弓さんは現在も仕事が忙しい時期には上京して孫の世話を手伝うなど、サポートを続けているようです。

広末涼子の母親まとめ

  • 母親の名前は廣末眞弓(旧姓:安藤眞弓)で1956年生まれ
  • 出身は北海道旭川市生まれ、埼玉県・神奈川県育ち
  • サバサバとしたポジティブな性格で、勝ち気な一面もある
  • 子育てで最も大切にしたのは「挨拶」と「笑顔」
  • 芸能活動には「高校合格後でないとダメ」という厳しい条件を提示
  • 「チャンスを逃したらその程度」という強烈な一言で広末涼子を奮起させた
  • 大学退学の際には「私の人生には関係ない」と自立を促す発言
  • 干渉しない教育方針を一貫して持ち続けてきた
  • 不倫騒動での沈黙が「擁護」と誤解され「おかしい」と話題になった
  • 不倫を擁護する発言をしたという記録は実際には存在しない
  • NHKファミリーヒストリーで母方のルーツは長野×香川×北海道と判明
  • クォーターの噂はなく、純粋な日本人である
  • 父・廣末忠彦さんとの出会いは横浜駅前でのナンパ
  • 現在は夫と共に高知市の雑貨店「AND COLOR」で働く
  • 3人の孫の育児サポートで上京することもある

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